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更新日:2012年3月8日

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貞享年間佐沼要害絵図

要害(ようがい)とは城を守るとりでのことで、天正19年、(1591)以降、戦国時代の城や舘(たて)が豊臣政権において修復され仙台藩に渡されました。
佐沼城は秀吉の小田原攻めの後、徳川家康によって改修され、政宗の重臣であった湯目景康(かげやす)(のちに津田)が1500石(ごく)で拝領しました。
景康は同年に一市町(ひといちまち)、その後の寛文2年(1662)までに五日町(いつかまち)、八日町(ようかまち)をつくり、宿場佐沼町をつくり上げました。
この絵図は貞享(じょうきょう)年間(1684~87)のものといわれ、佐沼城の居所(のちに本丸)を中心として、周辺の堀の深さや樹木の高さ、目的地点までの距離など、さまざまな測量のデータが書かれた絵図となっています。

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