登米市の偉人伝(2) 石川桜所(おうしょ)
石川桜所は、幕末・明治の激動の時代に医学で国に貢献しました。
桜場村(現中田町)の出身で、初めは千葉三安と称していました。
伊藤玄朴に西洋医学を学び、長崎ではオランダ人から蘭学を学んで技術を習得し、仙台藩医員となりました。
その後、江戸幕府に召し上げられて法眼の位を賜り侍医になると、将軍慶喜から「桜所は医国の才」と信頼を置かれ、法印の位を賜りました。
戊辰の役では将軍に従ったことから、敗戦後は将軍補佐の罪に問われて1年間の投獄。
しかし、桜所の医学の技量は新政府にとっても必要だったため、明治4年に兵部省に召され、その後は軍医監として活躍しました。
現在は、中田町の国道346号線沿いにある碑が桜所の偉業を伝えています。