疎開してきた芸術家たちとの交流
戦時中の登米市には、都市部から多くの疎開者がやってきました。
その中で、現在の迫町森地区(当時は宝江村の一部)には、のちに世界的に活躍する芸術家たちの姿がありました。
日本舞踊家の花柳徳兵衛(とくべえ)、洋画家の岡田謙三(けんぞう)、高野三三男(みさお)、挿絵画家の岩田専太郎(せんたろう)、三三男の娘で後にピアニストとして活躍する高野耀子(ようこ)などです。
いずれも大杉俊一(しんいち)という中心人物に導かれ、約1年滞在しました。
その間、地域の人とも交流を深め、岡田は過ごした村の風景を作品に描き、高野はお世話になった人の肖像画を残しています。
また、大杉、岡田、高野らが戦火をかいくぐって持ち込んだピアノは、宝江村の各小学校に寄贈されました。