デジタルミュージアム「昔のくらしと道具」 本文へジャンプ
学校の先生方へ
 当館では、学校と博物館をつなぐ様々な活動に取り組んでいます。ぜひ、学校教育の中で「博物館」の持つ機能を活用してください。
 このページは学校での事前学習や見学後のまとめなどにご利用ください。

当館の収蔵品の中から代表的な資料の一部を紹介します。
タイトルをクリックすると、拡大画像や関連画像、解説を表示します。

衣〜昔の衣服に関する道具の紹介〜

蓑(みの)

▼使われた時代:江戸時代〜昭和30年代初め
屋外で働くとき、雨や雪を除けるために背にあてた雨具でした。また、荷物を運ぶ際には、肩の部分がクッションにもなりました。


洗濯板

▼使われた時代:明治時代〜現代
石鹸(せっけん)をつけ、デコボコした面にこすりつけるようにして洗っていました。洗濯板は明治時代になって西洋から日本に持ち込まれたもので、それ以前は、足で踏み洗いしたり洗濯棒で叩く洗い方が行われていました。


手回し洗濯機(てまわしせんたくき)

▼使われた時代:大正時代〜昭和時代

洗濯物と水を入れてふたをし、ハンドルを回して洗います。脱水はできなかったため、手などで洗濯物をしぼる必要がありました。

火熨斗(ひのし)

▼使われた時代:江戸時代〜昭和時代初期

丸い部分に火のついた炭を入れ、その熱で布のシワをのばしていました。現在のアイロンのような使い方をしていました。


炭火アイロン

▼使われた時代:明治時代〜昭和20年代

中に炭火を入れ、その熱で布などのしわを伸ばしていました。


食〜昔の食に関する道具の紹介〜

羽釜(はがま)

▼使われた時代:江戸時代〜昭和30年代
           (現在でも使われることがある)
台所の土間のかまどに置いて、ご飯を炊く時や様々な煮炊きに使っていました。

自在鉤(じざいかぎ)

▼使われた時代:?〜昭和30年代
           (現在でも使われることがある)

いろりの上に吊るして鍋などをかけました。鍋などの位置が自在に上下に移動できるので、火力の調節ができました。


氷冷蔵庫(こおりれいぞうこ)

▼使われた時代:大正時代〜昭和30年代
上の部分に氷を入れ、冷たい空気が下部の食品を冷やす仕組みになっていました。氷が溶けてしまうたびに新しく氷を買い、入れなおしていました。

住〜主に室内で使用された道具の紹介〜

白黒テレビ(しろくろてれび)

▼使われた時代:昭和30年代〜40年代
テレビの画面には、今のように色がついていませんでした。チャンネルリモコンも無く、ダイヤルを回してチャンネルを選んでいました。日本のテレビ放送は昭和28年(1953)に始まりましたが、最初は値段が高くてなかなか買うことができませんでした。

嬰児籠(えじこ)

▼使われた時代:?〜昭和時代
赤ちゃんが出歩かないように入れておく道具で、稲わらなどで作られていました。普段は家の中で使っていましたが、農業が忙しいときは、田んぼや畑のそばにも置いていました。登米地域では「エンツコ」と呼んでいました。

ハエ取器(はえとりき)

▼使われた時代:大正時代〜昭和時代
ハエを捕るのに使いました。輪状の部分に塩水や米のとぎ汁を入れ、下に皿や紙を広げて置いて中央に砂糖などを置いておくと、ハエが寄ってきて輪状の溝に落ちる仕組みでした。

行火(あんか)

▼使われた時代:江戸時代〜昭和時代初期
昔、使われていたコタツで、火入れの中に炭火などを入れ、上に布団をかけて手足を温めました。

お米をつくる〜稲作で使用された道具の紹介〜

唐箕(とうみ)

▼使われた時代:江戸時代〜昭和時代中ごろ
                  (約50年前ごろ)
風力を使ってお米とごみを分ける道具です。ハンドルを回して風をおこし、お米とゴミを分けます。からのついたお米(籾)を上から入れると、重いお米は下に落ちますが、ゴミや軽いお米は風に負けて違うところから出る仕組みになっています。

箕(み)

▼使われた時代:?〜昭和40年代ごろ
              (約50年前ごろ)
お米などの選別や持ち運ぶときに使う道具でした。中に選別したいお米などをいれて、両手で持って上下にあおるように動かすと、風が起き、軽いゴミなどは外に飛び出し、重いお米などが中に残る仕組みでした。

万石通(まんごくどおし)

▼使われた時代:江戸時代〜昭和時代
お米や麦の選別の道具でした。上からお米や麦を入れ、網目(あみめ)を通る間に小さいお米やくだけた粒は網目を通って下に落ちる仕組みでした。

千歯扱(せんばこき)

▼使われた時代:江戸時代〜昭和時代
お米などの脱穀(だっこく)に使う道具です。脱穀は、かり取ってかんそうさせた稲穂(いなほ)から籾(もみ)をこき落とす作業のことです。先をとがらせた長い歯を櫛(くし)のように並べてあり、その歯の間に穂先を通して使いました。明治時代末ころに足踏脱穀機(あしふみだっこくき)が登場すると、だんだんと使われなくなっていきました。

足踏脱穀機(あしふみだっこくき)

▼使われた時代:明治時代末ころ〜昭和時代中ごろ
                  (約100年〜50年)
脱穀は、刈り取って乾燥させた稲穂(いなほ)から籾(もみ)をこき落とす作業のことです。足でペダルを踏むと針金の部分が回転し、そこに稲穂をあてて籾をとりました。お米が飛び散るので、注意が必要でした。

えぶり

▼使われた時代
お米の苗(なえ)を田んぼに植える前の土ならしに使われました。

鍬(くわ)

▼使われた時代:縄文時代〜現代
田んぼや畑の土起しなど様々な場面で使われています。最初はすべて木でできていましたが、古墳時代には鉄の刃を付けたものもつくられるようになりました。平鍬(ひらくわ)、窓鍬(まどくわ)、三つ鍬(みつぐわ)などさまざまな種類があります。

鋤(すき)

▼使われた時代:弥生時代〜昭和時代

スコップのように足で土の中にふみ込み、田んぼや畑を耕すのに使いました。もともとはすべて木でできていましたが、だんだんと鉄の刃がついたものが使われるようになっていきました。


犂(すき)

▼使われた時代:奈良時代〜昭和30年代頃
                    (約60年前)

馬や牛に引かせて田畑を耕す道具です。この道具が広く使われるようになったのは、明治時代になってからで、さまざまな改良が行われました。

田植枠(たうえわく)

▼使われた時代:明治20年頃〜昭和時代
田植えの時に、苗(なえ)を同じ間隔(かんかく)でまっすぐな列になるようにしるしをつける道具です。横に寝かせて回転させると地面にあとが付き、それに沿って苗を植えていました。

手押し除草機

使われた時代:明治時代末〜昭和時代
水田の草取りに使われた道具です。この道具が発明されると、立ったまま草取りが行えるようになりました。田打車(たうちぐるま)とも言います。

ジャバラ

使われた時代:江戸時代〜昭和時代
田んぼに水路から水を入れるのに使う道具です。手回し式のものと足踏み式のものがありました。写真は足踏み式のものです。

写真にみる昔のくらし
〜旧町域の広報紙などに掲載された写真から登米地方の昔のくらしの紹介〜
@くらしの写真

かやぶき屋根の家

▼昭和40年代 石越町
かやという植物を使った屋根です。昭和40年代ごろまでは、登米地域にもたくさん見られました。

水道がひかれた台所

▼昭和40年代 石越町
水道がひかれる前は、井戸を使っていました。井戸から毎日水をくみあげ、台所にある水がめにためておき、食材を洗ったり、調理に使いました。

長沼での投網漁

▼昭和40年代 迫町
登米地方には北上川や長沼など河川や湖沼があり、海と同じように漁業が行われていました。コイやタナゴ、ヌマエビなどをとっていました。

稲刈りの風景

▼昭和20年代 米山町
農業機械が普及する前の米づくりは、ほとんどが手作業で行われていました。田植え唄や稲刈り唄などの民謡を歌いながら作業するときもありました。

七夕まつり

▼昭和30年代 豊里町
宮城県では仙台七夕が有名ですが、昭和20〜30年代にかけては各地の商店街などでも同様の七夕かざりが見られました。この写真は豊里町の仲町通り商店街のもので、右下には三輪トラックが停まっています。

仙北鐵道

▼昭和40年代 迫町

奥に走っているのは仙北鐵道(せんぽくてつどう)です。この鉄道は、大正から昭和43年まで運行された軽便鉄道で、登米駅〜瀬峰駅の登米線、瀬峰駅〜築館駅の築館線がありました。現在は走っていませんが、登米地方に住む人たちの大切な移動手段でした。手前を歩く農家の人は、馬とリヤカーを引いています。


A学校とこどもたち

新旧の佐沼小学校校舎

▼昭和44年 迫町
向かって右側の校舎が、明治21年に建築された1号校舎です。木造校舎でした。

旧石越小学校校舎

▼昭和40年代 石越町
中央に写っているのが大正12年に建てられた木造校舎です。現在とは異なり、校舎前に二宮金次郎像が置かれていました。

紙芝居

▼昭和30年代 迫町
佐沼幼稚園のこどもたちが紙芝居を楽しんでいる様子です。紙芝居は、テレビやゲームが普及していない時代のこどもたちに最も人気のある娯楽でした。

用水路遊泳場で泳ぐ子どもたち

▼昭和30年代 米山町
学校のプールが整備されていなかったころは、用水路に遊泳場が設置されていました。こどもたちは、保護者や地域住民の監視のもと、水遊びを楽しんでいました。プールが整備されると、川や沼での遊泳は禁止され、遊泳場も姿を消していきました。