当館の収蔵品の中から代表的な資料の一部を紹介します。
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①くらしの写真

かやぶき屋根の家

▼昭和40年代 石越町
かやという植物を使った屋根です。昭和40年代ごろまでは、登米地域にもたくさん見られました。

水道がひかれた台所

▼昭和40年代 石越町
水道がひかれる前は、井戸を使っていました。井戸から毎日水をくみあげ、台所にある水がめにためておき、食材を洗ったり、調理に使いました。

長沼での投網漁

▼昭和40年代 迫町
登米地方には北上川や長沼など河川や湖沼があり、海と同じように漁業が行われていました。コイやタナゴ、ヌマエビなどをとっていました。

稲刈りの風景

▼昭和20年代 米山町
農業機械が普及する前の米づくりは、ほとんどが手作業で行われていました。田植え唄や稲刈り唄などの民謡を歌いながら作業するときもありました。

七夕まつり

▼昭和30年代 豊里町
宮城県では仙台七夕が有名ですが、昭和20~30年代にかけては各地の商店街などでも同様の七夕かざりが見られました。この写真は豊里町の仲町通り商店街のもので、右下には三輪トラックが停まっています。

仙北鐵道

▼昭和40年代 迫町

奥に走っているのは仙北鐵道(せんぽくてつどう)です。この鉄道は、大正から昭和43年まで運行された軽便鉄道で、登米駅~瀬峰駅の登米線、瀬峰駅~築館駅の築館線がありました。現在は走っていませんが、登米地方に住む人たちの大切な移動手段でした。手前を歩く農家の人は、馬とリヤカーを引いています。


②学校とこどもたち

新旧の佐沼小学校校舎

▼昭和44年 迫町
向かって右側の校舎が、明治21年に建築された1号校舎です。木造校舎でした。

旧石越小学校校舎

▼昭和40年代 石越町
中央に写っているのが大正12年に建てられた木造校舎です。現在とは異なり、校舎前に二宮金次郎像が置かれていました。

紙芝居

▼昭和30年代 迫町
佐沼幼稚園のこどもたちが紙芝居を楽しんでいる様子です。紙芝居は、テレビやゲームが普及していない時代のこどもたちに最も人気のある娯楽でした。

用水路遊泳場で泳ぐ子どもたち

▼昭和30年代 米山町
学校のプールが整備されていなかったころは、用水路に遊泳場が設置されていました。こどもたちは、保護者や地域住民の監視のもと、水遊びを楽しんでいました。プールが整備されると、川や沼での遊泳は禁止され、遊泳場も姿を消していきまし。

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