【登米町エリア】水沢県庁記念館

現在の宮城県北部と岩手県南部を管轄する地域を「登米県」と称していた明治4年、旧登米町に登米県庁舎が設置されることになり、同年7月に上棟式が行われました。
当初は登米県庁舎として着工されたものの、明治5年の落成までの間に、「登米県」から「一関県」、そして「水沢県」へと何度も整理統合されたことによって、県域がめまぐるしく変更されました。
このような激動の時代に建てられた水沢県庁記念館は、落成後に県庁舎として使用されたのが明治8年までの4年間のみで、次の年の明治9年には小学校として、さらに明治22年からは裁判所として多様に使用されました。
建物は木造平屋建で、その玄関は堂々たる入母屋造りの屋根をかけるなど純粋な日本建築ですが、本棟は県内官公衙(かんこうが)建築を代表する日本独自の貴重な洋風建築となっています。
現在は、宮城県が誕生するまでの経緯や裁判所として使用されていた当時の資料を展示して、一般に公開されています。
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