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更新日:2012年3月8日

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【東和町エリア】三経塚

綱木親和会館の東側にある山道を上っていくと、幾多の厳しい弾圧にも屈せず、キリストの教えを守り通した人々が処刑された切捨場霊場と遺体が葬られた塚があります。
天文18年(1549)、フランシスコ・ザビエル神父が日本に赴いて以来、キリスト教は国内に急速に広がり、東和町では製鉄業の発展とともに、その教えが人々に浸透していきました。
しかし、江戸幕府はキリスト教を異教とし、仙台藩でも元和6年(1620)からキリスト教への弾圧が始まりました。やがて、その弾圧の波はこの地方にまで及び、享保年間に伊達藩の役人によって信者たちは捕らえられ処刑されました。
米川地区で処刑された遺体は、経文とともに3カ所に埋められたと伝えられています。
写真は原形をとどめている海無沢三経塚で、川石を積んだ直径6メートルの塚の上には十字架が殉教者の霊をいたわるように立っています。
また、日本における最北の殉教地として、全国から巡礼の人々が訪れる貴重な観光資源ともなっています。

施設案内

所在地 登米市東和町米川字西綱木
問い合わせ

東和総合支所市民課

TEL:0220-53-4111

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