==1910年代から第二次世界大戦==
・ ロシアでは、1915年、マレーヴィチ(Kasimir
Malevich)の唱える「シュプレマテイズム」(至高主義、絶対主義)が出現、ロシアを含んだヨーロッパでは、ウラジーミル・タトリンがパリのピカソのアトリエを訪ねた様に作家同士の交流が盛んに行われる様になっていた。
ロシア革命直前には、アントワーヌ・ペブスナー(Antoine
Pevsner)、アレクサンドル・ロトチェンコ(Alexander
Rodchenho)、エル・リシツキー(Lazar El
Lissitzky)、ウラジーミル・タトリン(Vladimir
Tatlin)、イヴァン・プニー(Ivan Puni)、ナウム・ガボ(Naum
Gabo)をはじめ、多くの作家による未来派や立体派の影響を受けた新しい革命的絵画が生まれ、革命を後押しした熱い時代であった。
1917年、ロシア革命直後のソ連ではレーニンが革命的な前衛芸術を奨励し、一時期とは言え、ロシア・アヴァンギャルドが共産党の市民権を得て、ソ連は前衛芸術のメッカとな
り、ヨーロッパから多くの前衛芸術家がソビエト連邦の建設に参加した。革命後、ロシア
の作家達によるロシア構成主義が生まれ、ヨーロッパに花開いた時期であった。
しかし、1925年、スターリンの下でソ連政府が保守化し、共産党中央委員会による抽象美術の否定、30年代の社会主義リアリズムの台頭により、ロシア国内での構成主義は終結を余儀なくされた。
・ オランダでは、1917年、テオ・ファン・ドースブルフ(Theo
Van Doesburg)、モンドリアン(Piet
Mondrian)、ジョルジュ・ファントンゲルロー(GeorgesVantongerloo)、フリードリヒ・フォルデンベルゲ=.ギルデヴァルト(Friedrich
Vordemberge Gildewart)、フィルモス・フサール(Vilmos
Huszar)等によるデ・ステイル(De
Stijl)が創刊され、同時に、モンドリアンが、新造形主義(ネオ・プラスチズム=Neo-Plasticism)を唱える。
・ ドイツでは、1919年、グロピウス(Gropius)率いるバウハウス(Bauhaus)が開校し、カンディンスキー(wassily
Kandinsky)、ヨハネス・イッテン(Johannes
Itten)、モホリ・ナギー(Moholy-Nagy)、クレー(Klee)、アルバース(Albers)等の教授達が揃う。
・ 第一次世界大戦後、徐々にロシア、ドイツ、オランダの作家達はパリに集中して行く中、
当時、東欧の作家達も同じ様に幾何学構成絵画の運動に参加して交流がなされていた。
・ 1922年、デュッセルドルフで開催された具体美術展アール・コンクレ(Art
Concret)展には、デ・ステイルやロシア構成主義のメンバーを初めとするヨーロッパの作家達が、ロシア、オランダ、ベルギ-、フランスより集まり、その後、抽象絵画の作家達がパリに集中するようになる。
新しい幾何学構成絵画(ノン・フィギュラティフ、アート・ジェオメトリック、アート・コンストルイ、アール・コンクレと言った地域の独自のタイトルを宣言しながら)の作家達は、オランダ、ドイツ、フランス、スイス、イタリア、ポーランドの作家が中心となり、大きな渦となって市民権を得る。
・ 1930年、ミシェル・スフォー(Michel
Seuphor)とトレス・ガルシア(Torres
Garcia)によって組織された、「円と正方形展」(Cercle
et Carre)には、モンドリアン、ジャン・アルプ、カンディンスキー、ファントンゲルロー、ペブスナー、ナウム・ガボ、ゾフィ・トイベル・アルプ等、多くの幾何学構成主義の抽象作家が参加した。
その後、スフォーが体調を崩し南仏で長期の療養が必要となったが、翌1931年、「円と正方形展」を受け継いだファントンゲルロー、エルヴァン、ドースブルグによって組織された「アブストラクション・クレアション展」(abstraction
création)は、1936年まで継続され、ヨーロッパの多くの幾何学構成絵画の作家達がパリに結集することになり、参加者の国籍は独、伊、英、米、ソ連、ポーランド、ハンガリー、スイス、ルーマニア、オランダ、スペイン、トルコ、イラン、レトニア、オーストリア、チリ、ベルギー、日本等が挙げられ、出品者は、Albers,
Arp, Beothy,
Bill,
Brancusi,
Calder,
Delauney,
Domela,
Dreier, Fernandez,
Fischli, Foltyn, Fontana, Freundlich,
Gabo,
Gleizes,
Gorin,
Helion,
Herbin, Hone,
Kandinsky,
Kupka,
Moholy-Nagy,
Mondrian,
Nicholson, Okamoto,
Pevsner, Picasso,
Seuphor, Stazewski,
VanDoesburg, Vantongerloo, Vazelay, Villon,
Vordemberge-Gildewart
等はじめ多くの作家が参加している。
・
その後、「アブストラクション・クレアション展」の継続の形で、1939年、第1回「サロン・デ・レアリテ・ヌーヴェル」が開かれたが、第二次世界大戦が勃発、翌年からは、閉鎖される。
・ 既にバウハウスも閉鎖され、グロピウス、モホリ=ナジ、モンドリアン、シャガール、フェルナン・レジェ、アンドレ・ブルトン、ピカビア、マルセル・デュシャン等、多くの芸術家達はナチスの迫害や戦火を逃れようとニューヨークへ渡った。
1937年、渡米したモホリ=ナジはシカゴにバウハウスを開校する等、ヨーロッパからアメリカに渡った多くの作家達の影響でニューヨークの作家達に、又、アメリカ現代アートに多くの影響を及ぼす事になりました。
==戦後==
1946年、「サロン・デ・レアリテ・ヌーヴェル」(Salon
de Réalités Nouvelles)が再開され、
幾何学系抽象芸術のサロンとして再出発した。しかし、戦中、戦前の輝かしい良き時代のパリにいた作家達がヨーロッパを離れた事もあり、第2次大戦前の様な勢いは無く、やがて、世界を駆け巡ったアンフォルメル的傾向の抽象絵画(表現的抽象絵画)と同居するが、アルプ夫妻、ドローネー夫妻、クプカ、マックス・ビル、エルヴァン、ルピアン、ゴラン、ヌームール、ボゾリーニ、ニコラ・ショフェー、ルック・ペール、ベジィ、プロジィ、ストウラク、サラザール、ステンフェル、ヴァイヤー、マルジェリはじめ、多くの作家達が出品し、現在
、唯一の幾何学構成絵画の砦である事には変わりはない。
1960年から2003年迄、パリの招待展、今日の大家と青年展(Salon
Grands et Jeunes d'aujourd'hui)
には幾何学構成絵画部門と視覚芸術部門のセクションが設けられ、多くのヨーロッパの作家達が参加しました。
パリのギャラリー、ドニーズ・ルネ(Galerie Denise René)では、戦前の幾何学構成主義系画家を守り抜き、1948年には「Tendances
de l'srt
abstrait」(抽象美術の動向)展、1955年には「ル・ムーブマン」展、1957年にはモンドリアンの個展、1960年には視覚芸術家展、1962年には総括的な「Art
abstrait constructif
international」の展覧会(arp, agam , calvo , S.Delaunay , Di.teana , Fruhtrunk,
Kandinsky , Kelly , Kosice , Kupka , Le Parc , Lhose , Malevitch , Moholy-Nagy,
Mondrian , Morisson , Nicholson , Picabia , Nemours , Schoffer , Seuphor,
Tomasello , Van Dosburg , Vasarely 等々)を企画し、現在も健在である。
視覚芸術の先駆者モホリ=ナジの後、実験を試みながらの視覚芸術運動も市民権を得る事となり、ショフェー、アガム、ソト、ニノ・カロス、ボト、クルズ・ディエズ、ガルシア・ロッシ、ル・パーク、ダリオ・ペレーズ、コントレラス等に代表される作家に受け継がれていった。
一方、南米では、パリからブエノスアイレス(アルゼンチン)に戻ったトレ
ス・ガルシアの影響により、新しい幾何学構成的芸術の運動、ART
MADI(アルデン・キン、コチチ、ロイトマン等が中心)が1944年に発生し、四角のキャンバスからはみ出した、より自由を求めた幾何学構成造形作品が生まれ、1948年、Salon
des Réalités Nounelles の参加を機会に、パリでの活動も盛んになる。
今日ではパリを中心に国際マデイ運動(Mouvement MADI
International=アルデン・キンが組織する画廊もパリに存在)として受け継がれ、ハンガリー、イタリア、アルゼンチン、ブラジル、米国等で活動し現在に至っている。
ロシア(ソビエト連邦)は、第二次世界大戦に勝利すると東ヨーロッパの広い地域を占領し、ここに共産党政権を誕生させて自らの経済圏に組み込み冷戦時代を迎える。そのためポーランドはじめ東ヨーロッパの文化情報もベルリンの壁が解放されるまで消えた状態に置かれていた。
==影響==
アメリカでは、バーネット・ニューマン、ケネス・ノーランド、エルズワース・ケリー、フ
ランク・ステラ、ロバート・マンゴールド、Richard
Anuszkiewicz 等の作品が生まれ、ミニマル・アート、カラーフィールド・ペインティング、ハードエッジ、更に、ネオ・ジェオの作家達が生まれた。
==現在==
世界各地に広がった幾何学構成的芸術運動はその後各地域の歴史や文化と融合しながら、それぞれ違った形で受け継がれ、平面を中心に、レリーフや、立体へと環を広げながら、建築の分野にまで生きづいている。
絵画作家と異なる立体造形作家としては、カール・アンドレ、アンソニー・カロ、ソル・ルウィット、ドナルド・ジャッド、ダニエル・ビュラン等がおり、
環境空間造形アートの作家としては、幾何学構成的空間造形と自然との共生を求めたブランクージに学んだイサム・ノグチがおり、他にエドゥアルド・チリ
ダ、ダニ・カラヴァン、パオロ・スタッチオリ、マリノ・デイ・テイアナ、井上武吉、ジョージ・デュ・ボン、更に若い、マイケル・ワーレン、サトル・サトウといった作家達が、世界中で制作、発表をしている。
100年の歳月を経る幾何学構成抽象芸術は、1910~1930年代の熱すぎる程のエネルギーと幾何学構成的精神を受け継いだ作家達により継続され、幾何学絵画(アート・ジェオメトリック)、アート・コンクレ(具体アート)、非対象的絵画(ノン・オブジェクテブ)、非具象絵画(ノン・フギラテーフ)、幾何学抽象絵画(ジェオメトリック・アブストラクション)、新幾何学(ネオ・ジェオ)、視覚芸術(キネテイック・アート)、マデイ
、アート・ジュオ・コンストウルイ等、時代と地域によって、又、グループによって、それぞれ命名されながら時代を超えて現代に至っている。
これら幾何学系傾向の絵画を総じて幾何学構成絵画という。
20世紀と共に、ビックバンが起きたこれらの流れには、確かな時代背景が在りました。第一次世界大戦、ロシア革命、第二次世界大戦、冷戦時代、更にベルリンの壁崩壊後の異文化との摩擦等、絵画史から見れば必然的な変化が在ったわけです。21世紀に生きる芸術家達は、石油をはじめとするエネルギー資源問題、エイズや地球温暖化、
食糧問題、国際テロ、グローバル化による経済危機に直面しながら、更に人間の精神性を高め、崇高な空間、やすらぎと未来への、未知への空間を求め、純粋なイメージをより直接的に色に形に表現
を求め、明日に向けた新たな幾何学構成絵画を構築して行く事でしょう。
(資料提供:サトル・サトウ氏)