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更新日:2021年5月1日
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生産地:登米市南方町戸根屋敷地区
平成25年度に調査した際、数年前までは作付していたものの、今はやめてしまい種が途絶えてしまった作物もありました。
そのうちの一つ「一本太ねぎ」を生産していた方にお話を伺いました。
一本太ねぎのルーツは謎ですが、現在78歳の永浦さんが物心ついたときにはすでに永浦家で作付していたとのことなので、戦前からつくられていたものと思われます。近所の方たちに種を配ったりしたことから広がり、かつては集落内の多くの家で作付していた時期もあったようです。
※写真は現在作付している”下仁田ねぎ”
普通のねぎと違い、下仁田ねぎのように太さがあり、しかも下仁田ねぎと違い、長さもあるのが特徴のねぎでした。とても味が濃く、食べると甘みが広がるのですが、辛みもあったといい、今のねぎを食べるとどうしても物足りなさを感じるようです。主に味噌汁の具や、太いので4つ割りにして鍋に入れて食べたそうです。
水はけのよい畑で栽培するとよく育ったとのことです。畝(うね)の幅は広めに取り、20~30cmくらいの土寄せをしなければなりませんが、それ以外の栽培方法は難しくはなかったそうです。
この土寄せ作業がやっかいなものでした。永浦さんは管理機等の機械が使えないため、手作業で土寄せを行っていましたが、約20年前に手の調子が悪くなり、土寄せ作業が困難になってしまいました。
そのため、泣く泣く一本太ねぎの作付をやめ、土寄せ作業が簡単にできる下仁田ねぎを作付するようになったとのことです。
そのころには、前に種を配った近所の家でもすでに一本太ねぎの作付や採種をやめており、永浦さんが最後の生産者だったので、永浦さんが一本太ねぎの作付をやめたことでこの種が途絶えてしまいました。
永浦さんは今でも元気に畑仕事を行っており、土寄せさえなければ一本太ねぎを作り続けていた、と言っています。
永浦さんは小さいころから食べていた太ねぎの味を今でもよく覚えており、種が途絶えた今でも永浦家の記憶の1ページとして残っていくものと思われます。
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