柳田國男と登米地方 本文へジャンプ

 

 柳田國男という人物を御存じでしょうか?

名前は聞いたことがあるという方も多いかもしれません。柳田は日本民俗学の創始者であり、岩手県遠野の伝承をまとめた『遠野物語』の著者としても知られる人物です。

 その柳田は、大正9(1920)89日~10日に登米地方を訪れています。飯野川(石巻市)から登米地方に入り、柳津村(津山町)、登米町(登米町)、佐沼町(迫町)、南方村(南方町)、石森村(中田町)を訪問しています。そして、10日の午前に新田駅から一関(岩手県一関市)へ出発したようです。このときの訪問は柳田が行っていた東北旅行の一環で、登米地方の訪問は南方村の郷土史家・高橋清治郎に会うことが目的だったと考えられています。

 市内に滞在中は柳津虚空蔵尊の訪問や聞き取り調査、板碑の調査を行っています。また、当時の登米郡長・半田卯内らと面会して、編纂が進んでいた『登米郡史』へのアドバイスも行っています。

もちろん訪問の目的であった清治郎とも面会し、その家に一泊しています。清治郎からはオシラサマや佐沼周辺の村々の習慣であった「暦の裏の年代記」の話を聞いています。「暦の裏の年代記」は暦の裏にその年の重大事件などを記した史料のことで、柳田は後日、その史料の出版を清治郎に持ちかけています。ただし、残念ながら出版とはならなかったようです。

 このように柳田は、一泊二日ながら充実した訪問を終え、一関へ旅立っていきました。

高橋 紘

参考文献

登米市歴史博物館『モノノケたちの夏~地域の化物ガタリ~』 2018

高橋紘「柳田國男と高橋清治郎~『来翰集』と未刊『登米郡年代記』~」 
   『登米市歴史博物館 博物館だより』 24号 2018