登米地方は、北上川、迫川、伊豆沼、長沼など大きな河川や沼があることもあり、河童の伝承が残っています。
東和町の「さいかち渕」には河童の親子が住んでいた話、登米町には北上川で兄弟二人が河童に引き込まれて溺死した話、葛篭渕(つづらぶち)で嫁っ子(花嫁)が河童に引き込まれた話などがあります。
また、大正9年(1920)8月に登米地方を訪れたロシア人の民俗学者ニコライ・ネフスキーは、佐沼町(迫町)周辺に河童の話がたくさんあると記録しています。それによると、河童は子供の姿をしていて、川で遊んでいる子供を襲い、肛門から手を入れハラワタを抜き出して食べてしまう。昔は河童がよく獲れたが今は獲れないと記しています。
よく獲れていたそうなので、捕まえられるなら捕まえてみたいですが、何のことを言っているのでしょうか、とても、気になります。
さて、ここまでは悪さをする河童を紹介してきましたが、河童は祀られる場合もあります。登米町などでは、6月の天王様の祭りを河童様の祭りとも呼び、
初キュウリを神棚に供えてから川へ2~3本流すなどしていました。また、河童と関わりの深い磯良神社が石越町に所在し、東和町には河童神様の碑(目礒良神社)があります。
河童神様の碑は明治15年(1882)2月4日の銘文があり、明治時代に建立されたことがわかります。中央部分に「川童」が見え、「かっぱがみさま」と呼ばれています。水運に関する信仰と考えられていますが、詳細は分かっていません。
このように登米地方には様々な河童にまつわる話が残されています。みなさんの周りにも河童の伝承はありませんか。御存じの方がいらっしゃいましたら、ご一報をお願いします。
高橋 紘
参考文献
登米市歴史博物館『モノノケたちの夏~地域の化物ガタリ~』 2018
河童神様の碑(目礒良神社) 登米市東和町楼台
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