伊達政宗(1567~1636)から佐沼亘理家初代の亘理宗根(1600~1669)に出された書状です。「明朝に会う約束をしていたが、気分がすぐれないので19日の晩に参る」と伝えています。字形・花押ともにくずしが激しく、酒に酔った状態で書かれたもののようです。
本資料で特に注目されるのが、宛所(1)の「了庵二番ノ子」と追而書(2)の和歌の解釈です。「了庵二番ノ子」は種の二番目のこどもの意味とみられ、追而書に記される和歌は、『和漢朗詠集』下巻・白条所収の和歌の発句部分を一部改変したものです。佐藤憲一氏(元仙台市博物館長)によれば、発句は「了庵二番ノ子」にかかり、「本当は自分のこどもであるのに知らないふりをして了庵二番ノ子と書くのは、白々しい(興ざめだ)なあ」という意味で、政宗と宗根の親子関係を証明する資料になるとのことです。
注
(1)…あてどころ。宛先のこと、写真1の正面左端の部分。
(2)…おってがき。現在の追伸。

写真1 全体写真 写真2
端裏ウワ書き
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