伊達政宗の六男・宗信(1603~1627)から亘理宗根(1600~1669)に出された書状です。宗信は越前守・筑前守を称し、栗原郡岩ヶ崎城主(宮城県栗原市)でした。しかし、寛永4年(1627)に25歳の若さで没しています。この書状からは宗根と政宗のこどもたちが親しく交流していたことがうかがわれます。
宗根は11日に宗信を訪ねたようで、また遊びに来るように誘われています。また、「馬せめ」(1)にも誘われています。追而書(2)には、「河内様(伊達宗清)(3)、長松殿(伊達宗高)(4)のところへ何度も出かけていると聞いているので、私のところにも来てください)と述べています。
注
(1)…責め馬のことか。馬の調教のこと。
(2)…おってがき。現在の追伸。
(3)…1600~1634。政宗の三男。河内守を称し、吉岡(宮城県大和町)を
領していました。
(4)…1607~1626。政宗の七男。従五位下左衛門大尉。村田(宮城県村田町)を
領していました。

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端書きウワ書き
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