伊達宗勝書状 

亘理宗根宛 716日 
(佐沼亘理家寄贈資料)

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伊達政宗の十男・宗勝(16211678)から亘理宗根(16001669)に出された書状です。宗勝は岩井郡一関(岩手県一関市)3万石を領していました。また、仙台藩の御家騒動である寛文事件(伊達騒動)の主要人物・伊達兵部としても知られています。

この書状が出されたとき、宗勝は江戸にいたようです。蒸し暑い時節だが、亀千代様はますますご機嫌よくなっていること、鷹場のことなどを伝えています。

亀千代は後の4代藩主・伊達綱村のことです。宗勝は、伊達忠宗の三男・田村宗良と共に亀千代の後見役を務めていましたが、後見人とその政治への反発や登米伊達家(伊達宗倫)、涌谷伊達家(伊達宗重)の所領争いなどで領内は混乱し、最終的に原田宗輔の刀傷事件につながっていきました。