ホーム > 市政情報 > 農業・林業 > 農業 > 登米市伝統野菜復活プロジェクト > 伝統野菜復活プロジェクトを振り返って

更新日:2019年12月11日

ここから本文です。

伝統野菜復活プロジェクトを振り返って

平成27年2月・登米市産業経済部ブランド戦略室長・渡邉誠

 

「ところで地種って、何年作ったら地種なの?」

平成25年9月4日、長下田うり最後の生産者の千葉きよ子さんを2度目に訪問し、そろそろおいとましようかと思っていたときに千葉さんが発した言葉です。

我々が「よそから買ってきた種でなければ多分、地種になりますよ。」と申し上げたら「それじゃこれは地種(で)すか?」といって茶の間の席を立った千葉さんが持ってきたのは一握りの小豆でした。

聴けば、昭和20年に嫁入りしたときにお姑さんから作るように言われたもの。以来、70年間1年も休まずに作り続けきたのです。

紛れもなく、これこそ地種であって、伝統野菜発見の瞬間でした。“こうやって見つかるものなのか”という驚きと感動がありました。

登米市伝統野菜復活プロジェクトは、平成25年度、26年度の2ヵ年にわたって登米市が、市内にどのような伝統野菜が残っているのか、もし、残っているならばどのようにすればこれを活かし、伝統を継続させることができるのかを調査、検討するために実施した事業です。

登米市内にどれぐらいの伝統野菜が残っているのか、まったくわからない手探りの状態からスタートしました。

そして、幸いにもまだいくつかの伝統野菜がこの地で、静かに息づいていることが分かりました。

この項では、このプロジェクトを通じた出会い、発見のプロセスを振り返ってみたいと思います。

 

(1)きっかけ

そもそも、登米市で伝統野菜の調査、発掘を行うことになったのは、地産池消の活動が評価をされるようになっていた社会背景の中で、山形県の庄内地方など日本の各地で、在来の野菜に光を当てる取り組みが行われていることを目にするようになっていたことがあります。

一方で、登米市内では迫町北方地区の「観音寺セリ」は存在が知られていましたが、これ以外には存在が確認されたものはありませんでした。

かつては身近にあった“地もの”は、近年ではほとんど耳にすることがなくなっていた存在でした。

しかし、“ひょっとすると探せば観音寺セリのほかにもあるのではないか”と思ったのがきっかけでした。

 

(2)市の事業へ

会議写真そこで、産業経済部のブランド戦略室から、平成24年11月、市の新規政策として提案し、平成25年度、26年度の2カ年間で「登米市伝統野菜復活プロジェクト」として実施することが認められました。

事業費は、平成25年度は主に調査を行うための26万円、平成26年度は調査結果を取りまとめるための68万円でした。

ときには、“どうせ消えゆく運命なのだから、こんな事業に意味はあるのか。”といったことを言われたこともあり、気を落としたこともありました。

しかし、我々は、郷土の先人の労苦により長い歴史の中で伝えられてきた“地もの”には経済効率や資本の論理では計れない価値があるのではないか、何よりも市民、特に、これからの地域を担う子どもたちの地域を知るきっかけにすることができるのではないか、と考え、この事業の意義を訴えたのでした。

そして、何とかこの事業を実施する運びとなりました。

 

(3)伝統野菜との出会い

○長下田うりとの出会い

なげたうり1登米市内の伝統野菜を探すに当たって、事業を開始した平成25年の4月当時、市役所にはいくつかの情報がありました。

その一つに、“石越町に何かそれらしいものがあったらしいが、近年、最後の生産者がお亡くなりになって、途絶えたらしい。”というものがありました。

情報収集の結果、石越町北郷の千葉きよ子さんという方が昔、作っていたようだ、ということまでは分かり、ブランド戦略室の佐々木俊樹主査が電話をしたところ、おばあさんが電話に出て、もしかしたら、千葉さん本人かもしれない、というのです。

悩んでいても仕方がないので、恐る恐るご自宅を訪問し、呼び鈴を鳴らすと、高齢ではあるものの、ピンピンと二本の足で歩く元気なおばあさんがおりました(千葉さん、すみません)。

「もしかして、千葉きよ子さんですか」とお聴きすると、そうだ、とのお返事。千葉さんはご健在だったのです(取材当時88歳)。千葉さんには大変、申し訳ないことですが、我々は驚きました。

家に上げてもらって、しばらく待っていると、漬物をたくさん持って現れました。これが「長下田うりの金婚漬」でした。

予想以上のしょっぱさに驚きながら、平成24年まで県から漬物加工の許可を得て、石越町内の直売所「いしこし大好き」に出荷をしていたこと、千葉さんの金婚漬を毎年、買いにくるリピーターがいらっしゃることなど、たくさんの貴重なお話をお聴きしたのでした。

長下田うりとの出会いにより、我々は、直接、この目で見るまでは噂なんか信じてはいけない、という大事な教訓を得るとともに、頑張れば少しずつでも見つけることができるかもしれない、という手応えを感じることができました。

 

○黒沼のからし菜、つぼみ菜との出会い

からし菜平成25年の10月頃、外出先から戻ると、腰の曲がったおばあさんが、2種類の種を置いていったとのこと。見れば、アブラナ科の野菜らしき種が封筒に入っていました。

数日後、その方がブランド戦略室を再度、訪問され、ご本人にお会いすることができました。中田町黒沼にお住まいの高橋トシエさん(取材当時83歳)でした。

高橋さんは、東和町嵯峨立から64年前(昭和24年頃)に現在、お住まいの黒沼の地に嫁いだのですが、そのときに嫁入り道具としてお母さまから授かったのが「つぼみ菜」、「からし菜」の2種類の種でした。

そのときに母から“秋の彼岸に播いて、春の彼岸に食べるように”と言われた教えをいまもかたくなに守っているのです。そして、我々に親のありがたみを繰り返して説かれるのでした。

とても明るく、お話し好きな方で、毎年、野菜ができるとご近所におすそ分けをされているそうです。旦那さんの介護をしながら今年も野菜をつくり続けています。

高橋さんは我々が広報とめで情報提供の呼びかけを行ったのですが、それを見て、市役所まで種を届けにきてくれたのでした。本当にありがたいことでした。

 

(4)伝統野菜をつくる“人びと”の魅力

なげたうり2振り返ってみれば、伝統野菜との出会いは、人との出会いでもありました。

個性的な伝統野菜をつくり続けてきた人は、人間的にも個性的でユニークな人が多かったように感じます。

長下田うりの千葉きよ子さんは、年齢をお聴きして驚いたのですが、とてもお元気な方です。

これはご自身もおっしゃっていましたが、金婚漬には7種類の具材を詰め込みます。ご自身が作っていない昆布やごぼうはご自身がお店から仕入れをする必要があり、この仕入れの食材を購入する費用をねん出するために、金婚漬をつくり、販売しなければならず、そのために長下田うりを毎年、つくる、ということになります。

この切れ目のないサイクルを長年にわたって続けてきたことが元気の秘訣だったのです。千葉さんのお姿を見て、やはり、人間は生涯、何かをやらなければいけないと感じました。

また、長下田の小豆の存在を教えていただいたとき、千葉さんが“言われてみれば、一回やめたらもうなかったんだよね。これってすごいことだよね。”とおっしゃり、初めて自分がしてきた約70年の作業が、実は並大抵のことでなかったことを実感されたようでした。本当にすごいことだと思います。

せり1観音寺セリをつくるセリ田の水源である井戸は木村寿さん、きく子さんのご自宅の敷地にあります。

この井戸は、旅の途中、のどが渇いた弘法大師から水を所望された、当時、木村家にいた姉や(ねえや、女性の奉公人)が、遠くから水を持ってきたことを不憫に思い、大師が水源の位置を示したと言われています。

現地でご夫妻からお話を直接、お聞きすると、目の前にその光景が見えるようでした。

そして、この井戸の水を数十年前に水質検査をしたところ、不純物がほとんど入っていない純度の高い水だったそうです。観音寺セリはこの水でなければ育たないと言われていますが、もしかするとこのあたりに秘密があるのかもしれません。

セリの栽培はとても大変で、“根ぜり”の収穫は12月の末という真冬の作業になります。“今の若い人にはとてもできない。家業だからやっているんだ。”とおっしゃっていましたが、今、観音寺セリがあるのも、木村ご夫妻をはじめとした生産者の皆さんのご苦労があることを改めて感じました。

伝統野菜ではありませんが、中田町黒沼の只野仁夫さんは、今も農耕馬を飼っており、登米市で最後の馬耕技術保持者です。

取材当時83歳でしたが、筋骨隆々としています。そして、馬搬車に馬を乗せて、各地のお祭りなどにも協力を続けています。

奥様は只野さんの健康を気遣い、馬飼いには賛成されてはいないようですが、“登米市で最後になってしまったから、まだまだ止められない。”とおっしゃっています。ぜひ、いつまでもお元気でその雄姿を見せてほしいものです。

 

(5)伝統野菜を見つける難しさ

あずきこれは、石越町の長下田うりの生産者である千葉きよ子さんから長下田の小豆を見せていただいたときに感じたことです。

長下田うりは、昭和50年代初頭に刊行された「みやぎの郷土料理」((株)法文堂)に掲載されているなど、登米市内の伝統野菜の中では外部にも知られたものの一つでした。

千葉さんがまだお若い頃から、千葉さんのお宅に何度も研究機関などが訪ねて来られたはずでしたが、平成25年の現在に至るまで、千葉さんは長下田の小豆については、誰にも口にすることはなかったのです。

我々は、新しい伝統野菜を発見したという喜びを感じつつも、伝統野菜の調査がかなり困難な作業になるということも予感せずにはいられませんでした。

伝統野菜を作っている農家の皆さんにとっては、昔から続けてきた地種による野菜づくりは、“年中行事”であり、“当たり前”のことに過ぎません。

従って、「伝統野菜ありますか?」と聴いたのでは表に出てくるはずはなく、ましてや、80代のお年寄りがほとんどなので、ホームページや市の広報で情報提供を呼びかけても大きな効果が期待できるものではありませんでした。

結局、我々がめぼしをつけて、業務の合間に、一戸一戸、訪問して回るしかない、ということになりました。

 

(6)伝統野菜のこれから

登米市内の伝統野菜の生産者は、高齢化に加えて、数人ないしはお一人になってしまっているような危機的な状況にあり、後に続く生産者の確保は重要な課題です。

伝統野菜継承の鍵は、生産よりもむしろ、活用の方法にあるのではないかと考えています。

これまで、伝統野菜の調理方法は、漬物、煮つけという用途に留まっており、食生活の変化に対応できてこなかったのではないでしょうか。

例えば、長下田うりは、うりなのに、いっさい甘みがなく、生食には向かないといったことや、一つの種から10個近く収穫可能なほど多収なため、昔の人は漬物の原料に使用したものと思われます。

この本来の特性を活かして漬物以外の他の用途への活用できる可能性があります。

山形県鶴岡市のレストラン、アルケッチャーノの奥田政行シェフは地元にしかない野菜をイタリアンの料理の食材に活用し、脚光をあびています。

現代の食生活にあった調理や活用により“出口”ができれば、新しい生産者も出てくるのではないでしょうか。我々はそうなることを切に願っています。

 

お問い合わせ

登米市産業経済部地域ビジネス支援課

〒987-0602 登米市中田町上沼字西桜場18番地

電話番号:0220-34-2706

ファクス番号:0220-34-2802

メールアドレス:chiikibusiness@city.tome.miyagi.jp

サイト内検索

便利情報

ページの先頭へ