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教師の「技」とは
定年退職して感じることは、あっという間の教職生活であったということと、子どもたちの期待に添えなかったことへの悔恨の念でいっぱいであるということです。
そしてまた、学校教育の場から離れてみて、これまでに気付かなかったことの多さに驚くばかりです。
その時々に、懸命に教師の仕事を全うしようと努力した積もりでも、振り返ってみると、何も残っていない自分の痕跡に、ただただあぜんとする思いです。
この思いを少しでも軽減し、己の教職生活に何がしかの意味を持たせたいという願いと、今となって初めて気付いたことを伝えたいという願いから、己の非力を知りつつも、これまでに得た授業の展開の仕方を記し、読者諸氏の授業改善に少しでも役に立てばと願って執筆しました。
教師の中にはややもすると、学者あるいは準学者を気取っている人もいますが、私は「教師は職人」という持論の下に教師生活を送ってきました。つまり、教師は「技」を身に付けていなければならないと考えるのです。
知識量の多さが教師の善し悪しを決めるものでしょうか。もし、知識量によって教師が測られるとすれば、高校生や大学生の中には教師をしのぐ人も少なくはないでしょう。高校生や大学生が教師を越えられないのは、教師には「技」があるからなのです。その「技」は長い年月を掛けて磨いてきたものです。高校生や大学生には真似ができるはずはありません。
かつての教師はこの「技」の意義を深く理解していましたし、「技」を磨くことに必死になっていました。しかし、現在はどうでしょうか。何かにつけて「知識偏重」と現在の学校教育を批判していながら、実は、知識注入に陥っている教師が少なくないと感じるのは私の偏見でしょうか。
小生の長い教師生活の中で、「技」として身に付けた事柄を50話にまとめてみました。読んでいただくことによって、先生方の授業改善のための「技」を習得するヒントになればと願います。
書いている内容を単に覚えるということではなくて、これらの話を「気付くこと・感ずること」という視点でご覧いただき、できるだけ多くを発見していただき、読者諸氏の「技」を磨いていただければありがたいと思います。
登米市教育委員会 教育長 佐藤 壽昭 |