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トップ > ホットニュース一覧 > 水道週間入賞作品(作文)

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平成19年度水道週間作品コンテスト受賞作品(作文)

水道週間協賛懸賞募集(全国コンクール)入選

きみのためにも 私のためにも

加賀野小学校2年 千葉 沙彩

「あっ、なんかいる!ほら、あそこ。くろくて、ちっちゃいの!水の中でうごいてる!」

ここは、岩手けん岩手町にある、北上川はじまりのばしょです。小さなじんじゃのうら山に、たくさんの木がありました。その中の一本の大きな木のねもとから、チョロチョロと水がわき出ていました。私は、(なんで、この木のねもとだけから、水がわき出ているのかな。)とふしぎに思いました。この水が、じつは北上川のはじまりだったのです。水にさわってみると、とてもつめたくて気もちよかったです。キラキラ光っていて、きれいな水でした。

そして、私が見つけた小さなくろい生きものは、このいけの中にすんでいたのです。ちかくにいたおばさんがひしゃくをかしてくれたので、よーくねらって、「エイッ!あっ、やった!とった、とった!」

みんながあつまってきました。ひしゃくの中にいたのは、さかなではありません。しっぽや手や足があって、くびのりょうわきには、三つずつひらひらしたものがついていました。それは、サンショウウオの赤ちゃんでした。きれいな水のところで生かつするそうです。(おうちでかいたいけど、やっぱりおまえはこのきれいな水の方がいいよな。)

サンショウウオをいけの中にかえしてあげると、うれしそうに仲まのところへ行きました。

北上川のはじまりは、とてもきれいな水でした。この水が、ずっときれいなまま川をながれてほしいです。川にゴミをすてたり、水をよごしてはいけません、サンショウウオも私も、きれいな北上川が大すきです。おうちの水どうから出る水は、この北上川の水です。「沙彩ちゃん、北上川の水をまもってね。」とサンショウウオが言ってます。

「まかせなさい!北上川の水がきれいな水になるように、みんなでがんばるからね!」

 

ぼくの手で

上沼小学校4年 荒井 領

「ジャー、ジャー。」

お母さんがペットボトル、やかん、おなべに水をくんでいます。

この日は、二時間、水道管工事のために、だん水なのだそうです。

ふだん見ない「水のため方」にぼくは、ちょっとだけわくわくしてしまいました。そして、ついつい、のどがかわいてもいないのに水を飲んだり、たいしてよごれてもいないのに、手をあらったりしてしまいました。

気がつくと、ペットボトルにたまった水を必要以上に使ってしまい、だん水が始まってから二十分ほどしかたっていないのに、水は残り少なくなっていました。

「領ちゃん、何やってるの。」

そして、やっぱりお母さんにおこられてしまったのです。

考えてみると、水道から水が出ないと、お風呂には、入れません。歯みがきもできません。食器もあらえないし、のどがかわいても飲めません。水は、ぼくたちの生活の中で欠かせない大切な物の一つだと思います。

人間以外でも、例えば、どんなよい土や、ひりょうを使って野菜の種をまいても、その後に水をあげなければ野菜は育ちません。

人間も野菜も生き物はみんな、水がなければ生きられないのです。そう考えると、水は命の水のように思えてきます。

ぼく達の住む日本は、美しい国です。春になれば、チューリップやタンポポが顔をだして楽しませてくれます。

夏になると、ヒマワリがさき、秋には、おいしいお米がしゅうかくされます。でも水がなければ野菜もお米も実りません。そして季節の花も顔を出すことは、ないでしょう。緑も花の色もなく、あたり一面茶色で悲しい日本になると思います。

そして、ぼく達も食べる物も飲む水もなくて、きっと心細く感じると思います。

いざ、本当に水を使いたい時、ぼくのせいで、ためていた水が少なくてだん水の時は、ふべんな思いをしました。目の前に、じゃ口があるのに水は出ない。いつも出るのが当たり前の水道。あの時は、本当に、
「水を大切に使えばよかったなぁ。」と、こうかいしました。

社会の時間に、じょう水場に行って来ました。じょう水場から、ぼく達の家の水道に水がとどくまでのしくみを教えてもらいました。そして水は、かぎりあるしげんだからむだ使いをしないように、と言う大切なお話もしてもらいました。ぼくは、その話を聞いて、そうだなぁと思いました。

水は、水道からかん単に出るけれど、みんなでむだ使いをしたら、使う水がなくなるかもしれません。だから、ぼくは考えました。ぼくができる事、例えば、歯みがきの時は水を流しっぱなしにしない。お風呂でのシャワーも使いすぎない。そして流し台には、油とか水のよごれる物は流さない。

ぼくは、身近な所で、そしてぼくの手で水を守っていきたいと思います。

第49回水道週間作品コンテスト入選

みんなで守ろう命の水

上沼小学校4年 千葉 香純

「ああ、おいしい。」

いつもなにげなく飲んでいる水道水。

これまで、どこからやって来て、飲める水にしているのかまったく分かりませんでした。また、どのようにしてきれいな水になるのだろうか、と考えたこともありませんでした。

知っていたのは北上川の水をくみ上げて、飲み水にすることだけで、あのどろやゴミがいっぱいの川の水をどうやってきれいにするのか、とてもきょう味がわいてきました。

きょう味がわいてきたきっかけは、学校の社会の学習で、水道水のことを調べることになったからです。

六月八日金曜日に、校外学習で保呂羽浄水場に行ってきました。

見学して、やっと、どうやってきれいな水になるのかが分かりました。

まず始めに、薬品を入れて、小さなゴミを大きくします。

次に、水を升に通して、さらに、大きいゴミやどろをしずめ、上の方のきれいな水だけをろか池に送ります。

そして砂の間に水を通して、薬を入れて飲める水「浄水」にするそうです。

さい後に、保呂羽配水池にためて、みんなの家まで配水管を通して流していきます。

水道の蛇口を開けると、「ジャー。」と、きれいな水が、流れてきます。そして私は、何気なくその水を飲んだり、手を洗ったり、かみの毛を洗ったり、洗たくをしたり、そして家の小魚や金魚のための水に使ったりしています。

小魚たちも水道の水で水をきれいにしてあげると、うれしそうに喜んで元気に泳ぎ回ります。

「水をかえてくれてありがとう。」

魚たちは、そんな風に言っているかのように、喜んで泳いでくれます。

私のくらしている地いきでは、時々、グリーンキャンペーンという活動が行われています。これは、地いきのみんなで道路や川などの身近な場所のゴミを拾って住みよい町にしていこう、という活動です。

その活動で、このごろ気づくことがあります。それは、ゴミ拾いに出かけると、空きかんや紙くず、たばこのすいがらなど、いろいろなゴミがたくさんすててあることです。

それらを拾っているうちに、

「このまま、だれもこのゴミを拾わなかったら。」

と、思うようになりました。もし、このままだれもゴミを、拾わなかったら、そのよごれは、川の中にまじってしまうのではないかということです。そして、その川の水が水道の水として利用されているのです。

小鳥や動物、植物たちもすべて、おいしい水が大好きです。

ゴミのポイすては、いけません。

みんながおいしい水のことを考えれば、自然にポイすてもなくなるかなあ、と思います。

みんなの大切な命は、おいしいきれいな水から守られると思います。

「おいしい水」大好きです。

 

今から、そしてここから

加賀野小学校 5年 千葉 沙紀

「あっ、冷たい!気持ちいい!」

北上川の源流は、岩手県岩手町にある「弓弭(ゆはず)の泉」。いつも見ている北上川の大きさからは想像もできないくらい小さな湧き水だった。

(この水が、あの大きな北上川になるんだ。)と感動した。去年、社会科の授業で水についての学習をした。浄水場や下水処理場の見学をして、水の大切さを学んだ。歯みがきやかみを洗う時に水を出しっぱなしにしない、雨水をためて植物に水やりをする、食器洗いの時は、ため洗いやためすすぎをする等、自分にできることから取り組んできた。

そして、私が今、きょう味をもっていることは「水のリサイクル」。トレーや牛乳パック、新聞紙やペットボトルと同じように、この大切な水もリサイクルできないか、ということ。

このことについていろいろな本を読んだり、テレビを見たりした。一度使った水を形をかえて使うことができたら、少しの水でも十分役に立つし、生活も豊かになると思う。水は人々が多く生活する場所ほど、たくさん必要だ。都会での取り組みに注目してみた。調べていくと、「再生水」という言葉に出合った。再び水が生きる、再び水を生かす、という意味だ。家庭や学校、会社や工場から出されたよごれた水が下水処理場の中で、再び生き返っていくのだ。よごれをしずめたり、び生物や小石を使いながら長い時間をかけて、水を再生させていく。写真で見ると、茶色ににごった水が、太陽の光をあびて輝く、すきとおった水に変身していたからおどろきだ。

この再生水を人々はどのように利用しているのだろうか?まず、ビルのトイレ用の水、電車を洗う水として活やくしている。また、水が少なくなってよごれた川に再生水を流し、川のよごれをとる水としても働いているのだ。この他にも、草花や木にまく水としても使われる再生水。一度使われた水が姿をかえて、再び生き返り活やくする水。水もリサイクルできることを知って、うれしくなった。

北上川の源流は、一本の大きな木の根もとからわき出ていた小さな水の流れ。その小さな流れが、やがて少しずつ大きくなり、私たちの町を流れる大きな北上川となっていく。この大切な水を守っていくのは、私たち一人一人だ。一人一人ができる小さなことが集まれば、この北上川のような大きな流れになっていくのではないだろうか。

先日見たテレビでは、化石燃料を使わない社会を目指し、「水素立国」を宣言したアイスランドの取り組みが紹介されていた。コップ一杯の水からとれる「水素」で、洗濯機を一回まわせるそうだ。世界が注目する「水」の大切さ。「水」の働き。私たちもおくれてはいられない。大切な水を守るのは私たち自身。始めよう、今から。そして、ここから。

 

水と環境のつながり

上沼小学校6年 榊原 理央

以前の私は、歯をみがく時などに水を出しっぱなしにしてあまり気にしていなかった。でも最近インターネットなどで水の事を調べたり、ニュースで見て、私は思った。雨の降らない国だってあるのに、こんなに水をむだづかいするのはいけないなと思った。インターネットの記事には、こんな事が書いてあった。「今住んでいる地球には、まだまだきれいな水を飲めない国だってある。雨が降らない場所に住んでいる人々は、生活排水や工場排水などと同じような水を飲んでいる。」と書いてあった。もし私がそこに住んでいたらと考えると、ぞっとした。そこに住んでいる人達のことを思うととても気の毒になった。

私が最も言いたいことの一つ目は、私達が使えている地球の水資源はなんと2.5%しかないと言うことだ。私は海がいっぱい広がっていたから、水資源はいっぱいあるだろうと思っていた。でもたった2.5%しかないとは、とても信じられなかった。つまり、人間にとって飲める安全な水は、とても少ないということだと思った。

二つ目は、水質汚染のことである。五年生の時に習った代表的な公害水俣病・イタイイタイ病などだ。工場排水による水質汚染のえいきょうは高い。今は、水がきれいになってきていて、この代表的な公害はほぼなくなりつつある。でも私達はゆだんしていてはいけないと思う。山などに、不法投きにして、産業はいき物などから、水質が悪くなると聞いたことがあるからだ。

三つ目は、水でもおそろしさがあるって言う事だ。記事には、水は時として私達をおそう災害をもたらす場合があると書いてあった。宮城県でも昭和五十三年に地しんのえいきょうで、こう水になった写真を見た事がある。足のふくらはぎくらいまで、水があって家の中も水でいっぱいになっていた。私が産まれる前にこんなただの水でさえ大きなひがいを出すとは思わなかった。でも私達は水と森林があるおかげで今ここで生きていられる事がこの記事を読んでよく分かった。大切な水が災害となって、人間をおそわないように、人間も災害を防ぐ工夫をしていくべきだと思った。

最後は、水と森林は一体となっていると言う事である。木は山から流れてくる水を根にためて、いっぱいになったらゆっくりと流す。だから私達は江戸時代に降った水がろかされてその水を飲んでいるのかもしれないそうである。すべての生き物は、水がないと生きていられないので、地球にある水がいつかなくなってしまうことがないように大切にしてきたい。だからこそみんなで地球を守ろうと、いろんな活動が行われているのではないかと思う。

人間は約70%が水分でできていて、水は体になくてはならないものである。最初に述べたように雨の降らない国だって中にはある。それに比べて日本は、雨が降り、水資源が豊かで、きれいな水を飲んでいる。それにあまえてしまって水をむだづかいする人が、日本には多いと、私は思う。だから、一人一人の手で日本の水をもっと守る工夫をしていくべきだと思う。私は、今回水の大切さを知り、気をつけるようになった。手洗いをする時は、洗い流す時間だけ水を出し、必ず蛇口をしっかり閉めるようにしている。それから、食器洗いをする時は、洗剤を少なめにして、水洗いの時間の水量を減らす努力をしていきたい。こういう小さな日常から気をつけていって、水を大切にしていきたいと思う。

 

生命の水を守る心

登米中学校3年 中野 真理

「小さい魚がいっぱいいるよ。」

透き通る水の中を覗くと、ゆらゆら揺れる深緑の藻。太陽のスポットライトを浴びた小魚たちがたくさんきらめき、うごめいていた。

「おじいさん、この魚なに?」

「それはおじいさんが釣ってきて放した鮒の子供たちだよ。」

「へえー。なんかすごい。」

家の近くにあった用水路に続く川。祖父が放流した鮒が繁殖したのだ。生き物が美しい水の中から次々に誕生してくる豊かさ。幼い頃、何度も川を見に行って確かめた。私なりに実感した水の偉大さは、今でも鮮明に心にある。

理科の実験で池の水を調べた。一適の水にもたくさんの微生物がいて、資料集で確認した。ふと目を水槽にやると、やっと見つけてきたというめだかがつまらなそうに泳ぎ、その血管がはっきり観察できた。この命を育んでいる大自然。本当はきれいな川で生きたいのだろうと感じた。一瞬に水の大切さを思う。

もし私たちの周りにある水が汚れ果て、また自然環境のバランスが崩れ、渇水の状態が続いたなら、どうなるだろうか。私たち人間を含めて、自然界の健やかに命を育もうとする循環は、滞ってしまうに違いない。何らかの手を打たなければ大変な事態も免れないのである。当たり前のように水を使用し、いくら使っても無限に尽きることが無いと思う錯覚は捨てなければならない。どのように水を使用していくかも重要な課題なのである。

日本は海に囲まれ、豊富に水があると安心していた。しかし、海水は海水だったのである。実際に飲料水など私たちが生活中で利用できる水は、「河川・湖沼・地下水の一部で、わずか0.8%しかないのだ。」という現実を知った時、私はその貴重さを心に刻まなければと反省した。何種類も店頭に並ぶ水のペットボトルを安易に買い続けるより、昔から名水として湧き水を楽しめるこの自然環境を美しいままに守り続けることに意識を向けるべきであった。北上川に注ぐ羽沢川の上流にある森林公園。地元の水道局の皆さんの協力を得て、水道週間記念植樹に参加させていただいたことは、私にとって本当に嬉しい体験だった。節水を心掛けたり、油等は不要な紙等で拭き取り、洗剤も必要最小限にして流したりするなど、やろうとすればできることはいくらでもある。ささやかなことでも、かけがえのない水を守る事につながることは実践していきたいと決意を新たにした。廃水は少しでも自然の浄化作用を手助けできるように、その汚れを最小限に止める努力をしなければいけないと思う。

中国から留学している友達は、水は一度沸騰させて飲むが、それでもお腹をこわす事があると話していた。世界各国の水に対する利用状況を調べてみると、日本のようにすぐ蛇口をひねり、そのまま水道水を飲み、好きなだけ利用できる国はそう無いということが分かった。生活・農業・工業用水として地球上の人々が水の恩恵を受けている。その中で日本人だけが水の大切さを省みず、水を浴びるように使い、無駄にしているなんてもっての他だったのである。コップ一杯の水で何ができるか?顔を洗い、口の中を漱ぎ、身体を拭く。いかにいろんな事に利用できるかを最大限に考えて、惜しみつつ有効に用いようとしている人々がいる。私たちはそんな心配りをもっと謙虚に学ばなければいけないと思う。

小学校の時だった。保呂羽浄水場に見学に行く機会があった。私は、そこにおいしい北上川の水がたくさんあると思い、とても楽しみにしていた。通学路として登米大橋から北上川が流れる景色に見とれていた私にとって、きれいな川から運ばれる水は、きれいなものでなければいけなかった。しかし、私は見つけてしまった。目前の深くて広いプールのような水槽は、濃い茶色だった。ビニール袋、枯れ葉、妙なものが浮いたり沈んだりしていた。どんよりと淀んでいた水からは悪臭がしそうだった。あの「おいしい水」とは、あまりにもかけ離れていた。そこで働いている人の話によると、北上川の底にはたくさんのごみが溜まっていることもあるという。川に容赦なく不溶なものを捨て、環境に悪い物質を流せば、水質だって心配である。変形した奇怪な魚が苦しそうに喘いでいるかもしれない。その姿はとてもショックだ。

しかしその後、私はもう一つの感動的な光景を見た。それは浄水場の皆さんが再生させた本当にきれいな水。浄化方法を説明してもらった。そこで飼育されている金魚が気持ちよさそうに泳いでいた。努力して水を守っている人たちがいるのだ。私たちはこのことを肝に銘じ、きちんと協力するべきである。

助けを求めている水の叫びを聞き入れて対応し、命の源として生態系を支えている水の喜びを称え、共により良く生きていきたい。

 

水の力を信じて

登米中学校3年 及川 舞

私の家の畑の近くには、小さな川が流れている。大地を潤し、美しい花を咲かせ、季節の野菜をみずみずしく育ててくれる。私は、小さい頃から、その川で遊ぶのが大好きだった。春になると毎年恒例の生き物発見大会を行う。弟と一緒にオタマジャクシやドジョウ、アオガエルやウシガエル、小魚などをたくさん見つける。わくわくどきどきする時間だ。特にザリガニは、様々な種類があり、つかまえたりするのがとても楽しみだ。しかし、ニホンザリガニは毎年減っているので、取りあげて遊んでも、とても大事にしなければいけないと思い、すぐに戻してやっている。あの頃からいつまでもきれいな川を守っていきたいと強く思っていた。

ところが、通学路の途中にある高校の側の水路で、私は愕然とする光景を目にした。それは、どぶ川のような状態で、かなり汚く、ヘドロがいっぱいだった。ゴミもあり、生活排水が流れ込んでいた。悪臭もひどいもので、半端ではない危機感をもった。澄んだ川の流れやせせらぎはほとんど無かった。何かがつかえて汚水がたまっていたかと思うと、砂利がむき出しになりひからびたザリガニの死骸が、かなり散らばっていた。環境豊かなこの地でも、こういうことになっていると知った。他にも及んでいるのかもしれないと想像しただけでも吐き気がした。

なんとかみんなでこの水路からきれいにしていきたい。ここから私たちが大切にしている北上川に水が流れ、海へと続いていくのだ。そして北上川の水を飲料水として利用している。このことから私は、学校のみんなに呼びかけて、ボランティア活動を積極的に行い、ゴミ拾いや用水路の清掃、住民の皆さんへの水を大切にすることへの広報活動を行いたいと強く思った。実際に生徒会の活動として、地域のクリーン作戦を実施しているが、さらに盛り上げていくように生徒会に提案したい。

平成十九年六月一日。私は、この日を一生忘れないと思う。なぜなら、この日は、私たち登米中学校三年生が、第四十九回水道週間記念植樹に参加できたからだ。水道事業所や森林組合の皆さんの協力を得て、貴重な体験をさせていただいた。約六十本の大山桜を植樹した。既に苗木を植えるばかりに穴を掘って準備してあった。急斜面で、土は硬く大きな石だらけで、ここに木が根を張ることができるのだろうかと不安になるような所だった。私たちのお世話をして下さった職員の皆さんは、苦労して土を掘り起して下さったことだろう。心から感謝したい。前日に雨が降ったせいで地面は滑りやすくなっていた。転ぶ人も何人かいたが、土に湿り気があれば、苗木も嬉しいかもしれないと思った。木にはたくさんの水が必要なのだ。うまく成長できる木はほんのわずかである。それでも木は地面を支えて、土砂崩れを防ぎ、水分を蓄えて、私たちの生活を潤す働きをしている。だめになる苗木が一本もないように、私たちは注意を払って作業をした。木の根だけに水がいくように枯葉を除いた。持参したペットボトルで給水車から何度か水を運び、倒れないように手や足で土をよく踏みしめた。支え木に結わえ付け、目印のピンクのリボンに美しい花を咲かせていき続けるように願いを込めた。森を作り、生き物たちの餌になったり、寝床になったりして活躍することだろう。私たちはいつか木々の成長を見に来て、自分の子供たちにも植樹や水の大切さを伝えていこうと誓い合った。帰り際、飲み物と災害時などに活用できる水が五リットル入る携帯保存袋を頂いた。そして花の種。私が頂いた花の種はミントだった。さっそく家の畑に植えてみた。こんな小さな種から芽が出てくるのだと思うと、生命のすばらしさを感じる。しかしその魔法は水によって展開されるのだ。私は他の花にも水をかけながら心が和んだ。将来、庭を花でいっぱいにし、その向こうには幼い頃の思い出が秘密基地のように潜んでいるあの川が美しく流れていてほしい。叶えるのは地域に根ざしている私たちなのだ。

私は、きれいな水には、四つの力があると思っている。一つ目は、川の汚れを自浄してきれいにする力。二つ目は、全ての生きものに生命力を与える力。三つ目は、植物や木々を輝かせる力。最後は、私たち人間の心を温かくする力である。この四つの力は、私がこれまで生きてきて、この登米町の豊かな自然から受け取った手応えだった。水は生きている。しかし、人間が木を伐採し、自然環境を汚染する行為を続ければ、水は液体であっても退化し、命を育む神秘的な透明度を失っていくだろう。それは我慢できないことだ。私が心から親しんできた水。その力を誰よりも信じて守っていきたい。川に感謝し、水の将来を明るいものにするのは、私たちの責任だ。

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