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トップ > 東和総合支所 > 東和の歴史

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東和の歴史

華足寺

華足寺は800年頃、坂上田村麻呂によって建立されたと伝えられています。山門は寛政11年(1799年)伊達9代藩主周宗公の祈願により造られました。屋根は数回修理されていますが、そのほかは建築当時の姿をとどめています。屋根には魔よけの龍を配し、右に増長天、左に多聞天、2階に十二支の守り本尊八神像を安置しているこの山門は、宮城県の文化財に指定されています。

華足寺山門の写真

馬頭観音堂

華足寺内には、奥州7観音ひとつ、奥州33霊場の第15番札所として有名です。最近は動物を慈しむ観音様でもあるということでも信仰を集めています。

馬頭観音堂の写真

東陽寺


東陽寺は伊達藩家臣の原田家の菩提寺として山形県小松に開山され、伊達家が仙台に移ったことで宮城県船岡に移りました。寛文11年(1671年)、伊達騒動が起こった後、原田家はお家断絶となり、原田甲斐は首をはねられましたが、家来が遺体をこっそり船岡に持ち帰り、東陽寺の裏に埋めました。その後、東陽寺が米谷に移った際、甲斐の首は梵鐘に隠されて運ばれ、本堂の裏に密葬し、目印に銀杏を植えたといわれています。後に銀杏の大木の前には、原田甲斐の首塚が建てられました。(写真下)

東陽寺の写真

原田甲斐の首塚の写真

大慈寺の山門


藤原秀衡が建立した奥州33観世音の14番の札所として知られています。初めは天台宗諏訪山大慈寺と称していましたが、永享元年(1429年)に黒石村正法寺4代目の中山良用和尚が再興し、曹洞宗法輪山大慈寺と改めて現在の場所に移しました。山門は建立当時のままの姿です。

大慈寺の山門の写真

百済王のカブト


百済国斉明王が、その第2王子琳聖太子に与えたものです。王子が山口県多々良浜に渡米してから、大内氏の転居とともに各地に渡り、天保元年(1644年)にこの錦織の地に移ってきたものと伝えられています。大内義方が、明治42年11月10日に西郡上在郷の八幡神社に奉納したカブトです。

不老仙館


この建物は武家住宅の書院造りで、嘉永5年(1852年)、伊達13代藩主慶邦(楽山)公の宿泊所として建築されました。佐藤家が米谷に移転し,別荘として使用していましたが、昭和56年に寄贈されました。現在は文化財に指定し、民族資料館として一般に公開しています。館内には著名人の書画や骨董品などが展示されているほか、美しい庭園には茶室や句碑などもあります。

不老仙館の写真

密航船水安丸


及川甚三郎は凶作に苦しむ郷里の人を救おうとカナダへの密航を企てました。83人の密航者を乗せた帆船・水安丸が石巻荻浜港を出航したのは明治39年(1906年)8月31日。「パイオニア及甚」の夢は、カナダに日本人の理想郷を創り上げること。カナダに渡った甚三郎はライオン島を開拓し、日本人移住者を集めて活気あふれる島に変えていきました。現在、カナダでは渡航者の2世が多く活躍しています。

米川の水かぶり


毎年2月の初午の日に、わらで作ったしめ縄を身にまとい、身を清め、顔に鍋墨を塗った男たちが町を練り歩きます。地域の人たちは、このしめ縄を抜き、家の屋根に投げ上げて火伏せの祈願をします。長い歴史と伝統があり、国の重要無形民俗文化財にも指定されています。

米川の水かぶりの写真

綱木之大名行列


永禄7年(1564年)八幡神社再建から始められたと伝えられています。ホラ貝と花火を合図に、露払いを先頭にして、道中奉行、おみこし担ぎ、稚児行列など、総勢約100名によって繰り広げられる一大歴史絵巻です。

綱木之大名行列の写真

問い合わせ

東和総合支所 市民課

電話:0220-53-4111

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